崇徳上皇の怨霊●崇徳上皇の怨霊●1156年「保元の乱」を、「武者(ムサ)の世」のはじまりといわしめた慈円 (じえん)は藤原氏の人間であり、関白・九条藤原兼実の弟。源頼朝の宗教的 指導者となった。歴史書を著し・1220年に著わした愚管抄にこの言葉があります。 武者の世は、崇徳上皇と後白河天皇の争い「保元の乱」より始まり、その崇徳 上皇の「怨霊」は明治まで尾を引く。現在サッカー神社として名高い「蹴鞠神 社」の京都白峯神社は、明治元年。明治天皇によって建立され、白峯神社は讃 岐・香川県にある。「保元の乱」の後崇徳上皇はここに流される。現在の四国 88箇所巡礼の地である。明治帝は「崇徳」上皇の地鎮のためにこの神社を作っ たが、鎌倉から江戸までずっと約700年、武者の世が続いたわけである。 1156年保元の乱で明治維新が1868年で。約700年ですね。 京都白峯神社は京都御苑西・今出川通り堀川通りの交差点側。讃岐・香川県の 白峯神社は坂出市です。 |